ceremonia de graduación


アスンシオン日本語学校の卒業式
卒業生を送る歌を生徒達と演奏。
一年、、、にも満たない短い期間でしたが
私にはとても長い時間でした。
不安しかなかったけれど、生徒達、園児達のお陰で無事この日を迎える事が出来た。
私は教師ではないです。
日本では画家、グラフィックデザイナー、ミュージシャンという肩書きでした。
ここに来て初めて日本語を教えるという仕事に就きました。
普通の人がいえ、随分な変わり者が突然外国へ行って学校の先生になった訳です。
初めは保護者の方々は不安でしかなかったと思います。
今もかな?
金髪のチャラチャラした子供みたいな人に任せられるか。
というのが本音だと思います。
けれど何とか一年見守っていただいた事に
まずは感謝をしたいです。

私はこう見えて日本でもかなり多くの仕事に就いてきました。
見た目と違って社会でのキャリアも長いです。
7歳の子を持つ母親でもあります。
これでも十何年も前に日本で本を出版しているので言語というものに
対してある程度の理解力もあります。
だから不安はあっても何とか出来るという考えと小さな自信はありました。
それを自分だけのものではなく他の先生方や関係者の皆さん、
保護者の皆様からの信頼へと変える事が私の課題でした。

スペイン語がわからない私はほんとうに毎日もどかしい思いをしました。
3歳児のクラスは半数以上が日本語を理解していなかった。
言葉さえ通じれば。。。なんて事を考える事も少なくなかった。
『先生』と私を通り過ぎてスペイン語のわかる、話の通じる先生の元へ
、、、なんて場面も少なくなかった。
言語が理解出来ない自分が人として成熟していない
幼い子供のように思えて、とても辛い日々でした。
そもそもスペイン語の知識がゼロ、勉強するつもりもなく、
ここで生活するなんて思ってもいなかったのですから無理もないのです。

なんとなく来た地で1ヶ月滞在した時に突然頂いた話でした。
旅費はもちろん滞在費もなかったので
チャレンジと思い、期間限定の移住と新しい生活を決意しました。
そこからは本当に大変でした。
何もかもがわからない。
日系社会とはいえ、ここは日本ではないのです。
全く違う日本文化と言っても過言ではないでしょう。
とにかくなんとか流れを覚えて、なんとか一日を過ごして。。。
はじめのうちはそんな具合でした。
毎日の通勤すらも怖かった。
バスに乗ったら襲われると聞かされていたけれど、
毎日の通勤には子供と二人、バスに乗るという手段しかなかったのです。
3月に日本のアパートを解約する為に帰国し、本格的に働き始めた5月。
ようやくスペイン語アレルギーも治まり、子供達とのコミュニケーションの為に
覚えたいと前向きになれる様になりました。
積極的に歌や絵を授業に取り入れて
言語以外のコミュニケーションを重視する様にしました。
子供達は1年で大人の何倍も成長するのです。
お互いにわかる事が増え、何もかもがスムーズに、
毎日園で何をしようか考えることがどんどん楽しくなっていきました。

後期は上級生の絵画指導、卒業式での演奏の為の
ギター指導もさせていただきました。
私にとっては素晴らしい経験でした。
音楽や芸術は生きる為に必須とは言えません。
けれどこういったもの、自分自身が人生の中で
これこそがコミュニケーションであると大切にして来たもののお陰で
難しいはずの事がとても簡単になっていったのです。
その事実を経験として積み上げられた事が
私にとっては何よりもの宝物だと思っています。

生徒達は本当に素直です。
彼/彼女らのお陰で私は1年ここで働く事が出来ました。
そしてこれまでにない、ここでしか味わえない
貴重な経験をする事が出来ました。
日本で失われた何かがここにはある様な気がします。
美化する訳ではありません。
パラグアイもまたケータイ社会です。
貧富の差が激しいパラグアイでこういった学校に通えるという事は
豊かである証拠です。差別は確実にここにあります。
家では日本と同じくビデオゲームを楽しんでいるのかもしれません。
身の回りの事はお手伝いさんがすべて済ませてくれるなんて家庭だってあるでしょう。
全てが素晴らしい訳じゃないです。
けれど、本当にこの国の子供達に感じるものは日本とは違っているのです。
人懐っこい笑顔に私はいつもいつも救われてきました。

身よりもない、縁もゆかりもない故郷から遥かに遠いこんな土地で、
何とかやってこれたのは本当に、園児や生徒達、保護者の方々、
先生方、関係者の皆さんの理解とご協力のお陰だと思っています。

とりあえず一年、そう考え始めた仕事ですが、
もう少しチャレンジしてみたいと思います。




ストライプのシャツのミユ、中学生だけど平日は幼稚園の補助スタッフでもあります。


式で一緒にギターを弾いたケニア。


この日卒業したはるかは来年度の幼稚園の補助スタッフ!



卒業式の後のビュッフェ!!


ほんとに何もかもわからなかったので
工作はほぼ全てミスプリのコピー用紙で作った一年でした。
毎月園児とこうして教室を飾りました。

xx

Ardi

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