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5/19/2016

日本語教育 基礎コース

夏休みの終わりに日本語を教えるためのノウハウを学ぶ
短期基礎コースを受講しました。

朝から夕方までミッチリ一週間。
仕事を与えてもらっているので
しっかりと学ばなきゃ。



少しでもステップアップしなくてはいけないのです。
パラグアイで日本語を教える先生方は、
皆さん、本当にとても努力家で、意欲をお持ちで、
何より魅力的だ。

先生という存在自体が日本とは違うのかもしれない。
と思うほどに。

こういった講習を前にも受けさせてもらったのですが、
ともて楽しかった。

私が学んできたのは国語、
外国語としての日本語というものに触れる
というのはとても興味深い。

受講生には日本人、日系人もいたが、
若い世代のパラグアイ人の数の方が上回った。


体調的にまだ不十分で、顔がやばいですが。。
何とか1週間乗り切りました。

正直、
日本人であるということが
私がパラグアイでも仕事をしてなんとか
生けていける本当の理由だと思う。

それに甘んじるのか、
それとも、自分がここで有益な人材になるのか
それは自分次第だと、いつも肝に銘じています。

状況に甘んじず、
作り上げていく力を
アートや音楽と同じく
何事にも自分の可能性の先を
見つめることが重要なのです。


それを判断するのは自分ではない。

がんばったからそれでいい。
努力したからそれでいいではない。

自分がやったことに対して、
人の意識に食い込まれたものこそ
真実だと私は思っています。

だから見えない目標をいつも追いかける。
そして決して表面に上がらない結果を
刻むためにのみ努力するのです。

学びとはその姿勢です。
結果論ならカンニングでもなんでもして
点取りに勤しめばいい。

惰性で得た評価に甘んじる人は
生涯そういうものを追い求めるだろう。

表面ばかりにとらわれて
ルールだけを守って頭を使わない人は
生涯、生み出す喜びを味わえないだろう。

目に見える結果のみを信仰して
多くの時間を浪費する。

人間の根本に根付くものは
表には上がらない。

少なくとも私が求めるものは
沈黙の中に息をひそめる
判断力のカギとなるものだ。

経験を人との中で得て、
養われる多くのものこそが
良くも悪くも教育の結果であってほしい。

そのカギ一つで多くの世界が広がる。
たかが言語、されど言語、同じだと思う。

評価には値しないカギをどれだけ
こじ開けられるかが課題なのである。

まるで音楽のようだね。

さぁ私に何ができるだろう。
これこそライブだ。
生徒たちが学べるものを
増やすか減らすかは、私次第。

こんな責任の強い仕事はない。
けれども、できることを最大限にやるしかない。

今年度からは平日は幼稚園、
土曜日は小学2年生と高校生を担任することになった。

まさに毎日がライブだ。

限られた時間の中で何を示せるか。。



息子は1週間毎日、朝から夕方まで図書館で
一人で待っていてくれた。

ゲームやケータイで遊ぶこともなく、、
一人、待っていた。

皆気にかけて先に帰るか?
とか、うちで待ってる?
と声をかけてくれたけど、

毎日ここで一人で私を待っていてくれた。

こんなことできる7歳の子供が他にいるだろうか?

簡単なことではないと思う。

私の子育てを批判する人も多い。
母子家庭の私たちをみて
愛情不足だとか、
我がまま放題だとか。。

そんな言葉にいつも傷ついてきたけれど。。
私は息子を信じてる。

ここで日本語の授業。
”叱る”
という言葉。

怒ると叱るは違う!なんて言いますが、
叱るとは決して、穏やかなことではありません。

甘い言葉でなだめるのではない。
叱るという言葉は
大きな声でたしなめる。
という意味がある。

私は子供にはとにかく表情豊かに接する。
感情を知ってほしいから。

そして子供が小さいうちは
声のトーン声のボリューム、
態度、しぐさなど、
感情がはっきりとわかるように接する。

あえてそう心がけています。
私と息子の会話を聞いていたパラグアイ人の友人が言いました。

不思議なんだけど、、日本語が分からなくても
怒っているのか、遊んでいるのかよくわかる。なぜだろう?
と。

運転中、私たちの表情もみていませんでした。。
遊びの度が過ぎたらたしなめ、
また遊び、羽目を外したらたしなめ。。。ということをしてた時です。

音のジェスチャーなんです。
分かるジェスチャーをする。
それが叱ること。

声を荒げてはダメ。
叱りなさい。
じゃなくて、叱るという言葉は
きつい口調で咎めるという意味を含んでいる。
悪いけど私はそんなにいい言葉だと思わない。

むしろオカン、ぷんぷん怒ってたで。とか
いたずらしたらオカン怒ってペチコン!されてん。とか
そんな言われ方をする方が健全な気がする。。

しかしまぁ、怒るに叱る、、おもしろいね。
そのうち辞書の表記が変わるかも。

叱る;感情を表さず、冷静に間違えを正すこと
と。

全ては不確かなこと。

教育なんてまだ私にはわからない。
母親になったのもこれが初めてだし。
子供は成長するわけで、状況がどんどん変わり
一生ベテランオカンになんてならない。

だから何もわからない。
子育てに成功も失敗もないのですよ。
だってそんなものがあったら
人格否定です。

家庭の状況によって子育てを失敗した。
=子供はダメ人間?
そして未来は奪われますか?
おかしいですよ。

商品じゃないんです。
対人間。
だから先に言ったこと。
母親も先生も
カギくらいしか渡せない。

けれど皆さん私にあれこれ言ってこられます。
あなたの育児はどうこう、
だから子供がどうこう。

何を教育したいんでしょうか。
教育とは何でしょうか?

私はその根本に疑問を投げかけ続けるのです。
薄っぺらな育児書に生活を支配されたくないから。
商品棚に並ぶような人材にはなりたくもないから。

方法論より人間のつながりでぶつかりたいから。

そして自分が常にどんな状況でも真っすぐに子供の目を見て
対応できる人間でのみありたいと思うのです。

その関係こそ、学びをサポートするものであると思うからです。




xx

Ardi





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